スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

STING(ヨンヒカ子)



STING






『やあ、いらっしゃい。』
ドアが開くと、部屋に備え付けのバスローブを着た永夏が立っていた。
頭の高さ程に持ち上げた片肘で、軽くドアを押さえている。

航空会社の系列であるホテルの、永夏が指示をした階でエレベーターを降りるとそこにはカウンターがあって、綺麗に化粧をした女性が三人、その中からアキラに向かって「いらっしゃいませ。」と頭を下げた。
チェックインもアウトも、希望すれば朝食もそのフロアで全てを賄える設えと「お帰りなさいませ。」ではない挨拶は、宿泊客でないのなら部屋ではなくフロアにあるラウンジでの面会が常識的である事を伺わせた。
けれど、永夏がこの格好でいるのなら、すぐに場所を変える事も出来そうにない。

『ちょっと入って。・・・・・こんな格好だし。』

一年ぶりに会う永夏は、相変わらず傍若無人で、その彼が自分にホテルを尋ねて欲しいと言った本意を、アキラは掴みかねていた。
彼は一人、他のメンバーとは違うホテルを取り、会場へはそこから通うのだと聞いていた。
部屋は広かった。

『日本に来る時はいつもツインを取るんだ。・・・・・・オレはダブルがいいんだけど。』

アキラの考えを見透かしたかのように先に立って歩く永夏が言った。いつも、とダブルの二つの音が妙に強く発音されたのは、韓国語の特徴なのだろうか、とアキラは思った。それに、いつもと言うほど永夏が頻繁に来日していたという話を聞いた事もなかった。
所在なく、永夏の視線が向かう方を見ると、一つのベッドのカバーがめくられ、使われた形跡がある。
アキラは当惑したように寝乱れたベッドを眺めた。

『・・・・・・休んでらしたんですか?』

それならタイミングが悪かったかもしれないと、アキラは永夏から指定された時刻をもう一度そらで確認した。けれど自分のその言葉のどこが面白いのか、永夏はいきなり吹き出すとこう言った。

『それどういう意味?・・・・・・・眠ってたのか、って事?』

窓際に置かれた椅子の一つに座って足を組んで、目の前に置かれたテーブルからグラスを一つ取り上げて口元に運ぶ。
その途中でふいに思いついたように、横にもう一つ置かれたグラスに自分のグラスをかちりと合わせて、軽い音を楽しむように、片頬で笑いながらアキラの表情を伺った。

『どなたか・・・・・・』

別の人とも約束があったのか、自分との待ち合わせのためにその約束を早く切り上げざるを得なくて、それでこんなにも自分に含む所があるような物言いをするのだろうか、とアキラは訝しんだ。
けれど、この時間、この場所を指定したのは他ならぬ永夏だったし、その電話もほんの数時間前に寄越された物だった。アキラが在宅していたのを知って永夏はひどく喜び、地理に不案内だからもしホテルまで来て貰えればこんなに嬉しい事はない、とまで言っていたのだ。先約があったのなら誘いはしなかっただろう。

それとも急に来客があったのだろうか・・・・・・・・。

相変わらず余裕たっぷりの表情を見せている永夏の前でまるで馬鹿のように立ち尽くしながら、アキラは徐々に苛立ち始めていた。
呼んだのなら呼んだで、早く用件を話して貰いたかった。
それに何だかとても嫌な気持ちがする。
まるで永夏がとてつもない爆弾を抱えているようで、後はスイッチを押されて自分が吹き飛ばされるだけのような落ち着きのなさに、アキラは苛々と窓の外を眺めた。





その時急にバスルームからドライヤーの音が聞こえて、アキラはぎょっとしたようにそちらを向いた。
驚きで一瞬硬直した自分の背中を永夏に見られたかと思うと、理由もなく悔しかった。そして永夏のバスローブ姿と、乱れたベッドと、バスルームにいるであろう人物・・・・・・・恐らくは女性であろう・・・・・を一つに繋ぎ合わせて自分が居合わせた間の悪さを導き出すのは簡単な事だった。

『・・・・・・失礼。ボクはまた改めて・・・・・』

出歯亀になる趣味は毛頭持ち合わせていない。韓国から女性同伴で来日するというならすればいい。それとも街で誰かを拾って来たのだとしたらそれでもいい。その程度の覚悟で北斗杯に望むつもりなら、今年こそ自分たちがその頂点に立つだけの事だ。
心持ち強張った表情で踵を返そうとするアキラを、永夏が呼び止めた。

『ああ、ちょっと待ってよ。ねえ、すぐ出て来るからさ。』

何が!何を!と頭の中で繰り返しながら、永夏は、ただ自分を揶揄って面白がっているだけなのだろうか、とアキラは思った。そして、たかだか高永夏の色事云々が盤外戦になるとでも思われるのは心外なことこの上なかった。
大股でドアに向かって歩き出し、バスルームの前を通ろうとした時、そのドアが細く開いて、綺麗な腕が一本伸びた。

「永夏!オレの服取って!」

雷に打たれたようにアキラの足取りが止まった。

ドアから伸ばされた、よく見れば見覚えのある形の腕を一度凝視して、アキラは首を永夏の方に向けた。自分の首筋が、ぎりぎりと音を立てているのではないかとアキラは思った。

永夏は、ベッドの上に屈みこんでシーツの波の間から、いつかアキラが見たこともある服を引っ張り出し、軽い音を立てながらその服にキスをしていた。

『バスルームに行く時は下着くらい持っていくのが淑女だと思わないか?』

ウィンクをする永夏の顔からアキラは視線を外せなかった。


てきぱきと服を纏め、一纏めにして肩にかけた永夏がテーブルの上から小さな箱を取り上げて開いた。中から何かを取り出すとドアの隙間からひらひらと振られている手の平にそれを押し付けて、その上から小さな拳を握るように包み込んだ。

「ちゃんとリングも嵌めて。」

手が一度引っ込んで、もう一度伸ばされた。アキラの目の前で綺麗な石のついた指輪を嵌めた左手が踊った。

「これでいいだろ!・・・・・・・・・対局中はこんな物つけてらんないからな。」

ひったくる様に永夏の肩から服を掴んだその指輪の持ち主が怒ったように、それから照れ臭そうに言っていた。
手が動くたびに石が描く緑色の曲線を、アキラは呆けたように眺めていた。




あの手は碁石を握る手で、あの指は碁石を掴む指で・・・・・・・・・あんなキラキラした石を身に付けるべき手じゃないんだ。
あの手はもっとふっくらとしていて、碁石を掴むにももたもたとしていて・・・・・・・・・・・12の時からボクがずっと見続けて来た手なんだ。
ボクがずっとずっと宝物のように・・・・・・・・・・




あの指はいつからあんなに華奢になっていたんだろう。



「良く似合ってる。」

永夏の声が遠く霞んで聞こえた。







「・・・・・・・・・日本語が、随分お上手だったんですね。」

ドアが閉まった時に、アキラが詰めていた息を吐くように言った。

「ああ失敬、まだいたんだ。・・・・・・・・・・そうだよ?知らなかったでしょ。何しろ彼女は語学センスがゼロだからね。」

永夏が見事な日本語で答えた。

「そろそろ遠慮して貰おうかな。いくら男まさりだからって、風呂上りを他の男に見られたくはないと思うんだけど。」

アキラの鳩尾を塊が直撃した。

「・・・・・・・どうして?」

やっと絞り出せた問いはそれだけだった。

どうしてって?とでも言うように永夏が片方の眉を上げた。

「何のためにボクをここへ呼んだんです。どうしてこんなに手の込んだ真似を。貴方は・・・・・・・・ボクと公平に戦いたいんだとばかり思っていました。少なくともボクは、今年の、貴方との初対局をとても楽しみにしていた。」

「そんなにショック?・・・・・・・オレと戦えないくらいショック?」

面白そうに永夏が言った。

「・・・・・・・・・・戦えますよ。貴方の思い通りになんかさせません。」

アキラの膝の上で握り締められた拳が白かった。

「結構!それでなくちゃ面白くない。だけどこれが北斗杯の盤外戦だなんて思って貰っちゃ困る。アイツを巻き込んでお前を動揺させようなんて思ってもいない。オレはね、オレの物をオレの物だと、お前にはっきり伝えておきたかったの。例えそれでお前の碁がめちゃくちゃになって、今年の北斗杯がお笑い種のようなつまらない対局になったとしてもね、この一戦を無駄にしても、お前には嫌って言うほど骨の髄から納得しておいて貰いたかったんだよ。卑怯だ、って言いたいなら言えば?」

「どうして・・・・・・?」

もう一度同じ問いが発せられた。

「お前みたいな奴とは、碁盤を挟んで戦うだけで十分だ。」

だからお前の目を掠めるようにして、オレにしては地道にアプローチして、影に日向にせっせとね。そう永夏が言った。

「だから今日が総仕上げ。・・・・・・・・長かった。」

いつか自分が言った言葉を感慨深げに口にする永夏を、アキラは殺してやりたいと思った。一体、彼はいつ・・・・・・・そう思って、はっと顔を上げる。

「一体いつから・・・・・・」

「何も知らない子にキスから教えて、平気で裸のままバスルームへ行けるようになるくらい。・・・・・・・・・ちょうど一年。」

自分の言葉を噛み締めるほどに蒼白になっていくアキラから、永夏は視線を離さなかった。

「勝負は魔物だからな。・・・・・・先手必勝。悪く思うなよ。判ったら・・・・・・・お帰りはあちら。」

ゆっくりと体の向きを変え、永夏の手が指し示す方へと向かうと、アキラの手がのろのろとドアノブを握った。


ドアが開いて、また閉まった。


永夏が大きく溜め息をついて髪の中に片手を入れるとぐしゃぐしゃと掻き回し、それからもう一度髪を掻き揚げてアキラが去ったドア越しに遠くを見詰めた。

バイバイ塔矢。
この勝負は渡さない。
お前の詰まらないプライドとモラルを利用させて貰うよ。





永夏はドアに背中を預け、腕を組んでもう一つのドアが開くのを待った。

背中の後ろにあるドアをもう一度叩くヤツがいたとしても、二度とこの敷居は跨がせない。
この部屋の中に何があるかを、そしてそれががいない世界がどんなに色褪せた物であるかをじっくりと味わえばいい。
ドア一枚隔てただけで、その先に広がるのは、未来のない永遠なのだから。

バスルームのドアが開いた。

「永夏、誰かいた?誰かと話してた?」




永夏はヒカルの手を取ってリングを嵌めた指に口付けをした。





「誰も。」

そして両手を広げる。

「・・・・・・・オレと、お前だけだよ。」

永夏は、腕の中に収まったヒカルを抱き締めた。















※STING・・・・・(動) 刺す  苦痛を与える ひりひりさせる ずきずきさせる 人の心を痛める
(名) 刺すこと 刺し傷 針 激痛 辛辣 皮肉
(俗) 欺く 騙す

PREV | TOP | NEXT


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。